2025年第28週目|ひとりじゃ無理なので、仲間に助けてもらうことにしました。

過ぎゆく日々の備忘録

– Whispers of Bygone Days –

2025年第28週

7月7日(月)

サブタイトル

「演劇って、見えないところで金がかかるんですよ」と口にしたら、知人に「見えるところでもかかるよね」と言われてしまった。たしかに照明も、音響も、チラシも、衣装も……見える、全部見える。だから今日は、思い切って「応援札」の販売を始めた。オンラインショップ「BASE」で。

2.5次元演劇が流行り始めたあたりなのかなぁ。応援札というのが演劇のお決まりごとになっているらしい。応援札の「札」は「札(ふだ)」だけど、「札(さつ)」だ。中世の芸術家だって、教会や貴族の庇護を受けて生きてたわけで、要はエンタメって昔から応援される側の産物なんだと思う。

販売ページを公開する直前、なぜかトイレに3回も行った。緊張すると胃腸が即座に反応するあたり、身体だけは正直で困る。午後、通知音が鳴った。応援札が一枚売れたのだ。娘が応援札を一枚買ってくれた。
たぶん今日、いちばん劇的だったのはそのシーンだったと思う。

今日の「気づき・学び」

エンタメは、応援してくれる誰かの存在がなければ続けられない。

7月8日(火)

仲間と夢を語るだけで、本当に前に進めるのか?

午前、ある美術館で映画上映に関する打合せ。詳細はまだ話せない。どこの美術館かも伏せておく。こういうとき、SNS時代の言い方を真似するなら「お知らせできる日を楽しみにしていてください」というやつだ。ぼんやりとした期待だけ置き土産にして、しばらく沈黙する。それがいちばん難しい。

夕方から「脚本家企画会議」——縦型ショートドラマの制作がいよいよ本格始動する気配。
何よりすごいのは、誰ひとり辞めずに集まり続けていることだ。誰もギャラの話をしない。でも全員が、やる気と笑顔だけは持参している。
「こうしたら面白くなるかも」と誰かが言うと、誰かがすぐに「それ、いいね!」と返す。この応酬がたまらない。たぶん今、私たちは学生の文化祭みたいな時間を共有している。でも、それがなにより贅沢なんだと思う。

今日の「気づき・学び」

仲間と夢を語れる時間があるなら、もう半分は進んでいる。

7月9日(水)

脚本に口を出されても、黙って従うべきなのか?

演劇『SOUL』のキャスティング打合せ。西新宿のちょっと高価な喫茶店。入り口のドアが重いのが難点だが、そこを押し開けて入ってくるF氏の気配は、たいてい早めにわかる。声がデカいからだ。彼は僕と同じ年。パワフルなおっさんである。

今日の打合せは、キャスティング。F氏いわく、「若いキャストのほうが集客につながる」。だから、若い俳優に合うように書き換えよう、と。死ぬ気で書いた台本が、10秒でひっくり返された。
けれど、感情的にはならなかった。いや、正直に言えば、ちょっとだけなった。でも、それはクリエイターあるあるで、そこで止まるわけにはいかない。僕はこの演劇を、自分のためだけにやっているわけじゃない。演劇はビジネスだ。チケットを売らなければ幕は開かない。
そして、お客さんに求めるもの、満足してもらえるのものでなければ、何の意味もない。

F氏は帰り際に「期待してるよ」と言ってくれた。たぶんあれは、脚本を書く人間にとって一番やっかいな言葉の一つだ。でもまあ、期待されるうちは幸せだと思っておこう。

今日の「気づき・学び」

創作は自己表現ではなく、観客の心に届いてこそ価値がある。

7月10日(木)

年齢設定を変えるだけで、物語は崩壊するのか?

脚本の書き直し作業に入った。昨日の打合せで決まった「キャストを若返らせよう」という方針に従い、登場人物の年齢を軒並み下げていく。だがこれが地獄の始まりだった。
年齢を下げたら、まずセリフが合わなくなる。次に、関係性がズレる。気づいたら、設定そのものが崩れていた。
いじったのは年齢だけのはずだったのに、気づけば物語が根元からグラグラしはじめていた。

結果、ちょっとの手直しどころか、プロットからやり直し。今朝から始めた修正は、昼にはほぼ全面改訂になり、午後には「これは新作では?」という気分にまで達した。
カフェインと炭水化物で脳をブーストしながら、なんとか夜まで食らいついたけど、まだ完成の気配は見えない。

締め切りは一週間後。
Fプロデューサーの、あの爽やかな笑顔が脳裏を過ぎるたび、胃がチリチリする。いや、たぶんあの笑顔は悪気がないのだ。そういうところが、よりタチが悪い。
でも書く。これはもう意地の問題だ。誰より自分が納得できる形で、もう一度この物語を生き返らせる。

今日の「気づき・学び」

設定を変えれば、すべてが変わる。だからこそ、物語は精密に作らなければならない。

7月11日(金)

「歳を取ったら挑戦できない」は本当か?

HAPPY BIRTHDAY TO ME!
58歳の誕生日を迎えました。今日から私は、自ら定義したアラ還ゾーンに突入します。定義は明確。58歳の誕生日から、62歳の誕生日前日まで。この4年間、ただ老いていくのはもったいない。むしろ、高校の文化祭のノリで、全部やる。全部楽しむ。全力で悪あがく。

これまでの人生は、うまくいった時も、そうでない時も、「創ること」が中心にありました。映像、舞台、文章——ゼロから何かを生み出すことに取り憑かれていた気がします。でもひとつだけ、若い頃に避け続けたものがある。それが「音楽」。音痴で音感ゼロ。でも今こそ、それに挑戦してみようと思ったんです。だって、苦手に突っ込んでいくのって、青春でしょ?

さらに、禁酒・禁煙・筋トレ開始。最終目標は格闘技。誰かと戦いたいんです。自分と、老いと。それから——通信制大学で政治学を学び、政治家になるという、まさかの進路も検討中。いや、これはもう宣言に近いですね。

58歳の今、自分の人生に責任を持つって、やりたいことに正面から向き合うことだと思いました。誰かに期待されて動くんじゃなくて、自分が選んで、自分で笑う。その人生を生きたいんです。だから、この文化祭、今から本気で始めます。

今日の「気づき・学び」

歳を取ってからでも、人生は何度でも何にでも挑戦でいる。やるかやらないかは、自分の決意だけ!

7月12日(土)

「お金は気持ちです」って、ほんとうに言い切れるのか?

昨日の誕生日、実はひそかに期待していたことがある。
——応援札、誰か買ってくれないかなぁ……と。
で、結果。
なんと5人の方が購入してくれた。思わず画面を二度見して、口に出たのは「マジか」だった。

誕生日便乗商法、という気がしないでもない。でも、そんなふうに応援してくれる人がいることが、ただただ嬉しかった。
お金は、振込通知の数字だけど、そこには気持ちが詰まってる。それを目の前にすると、「演劇をひとりでやってるんじゃない」って実感する。

正直言えば、このお金はすぐには使えない。なんか神棚に飾っておきたい気分だ。もちろん、実際には脚本の印刷代になったり、小道具の材料費に消えていくんだけど、そのひとつひとつに「ありがとう」が混ざってる。僕にとっては、ただの紙じゃない。作品の燃料みたいなものだ。

早速、Instagramのストーリーズに投稿した。しっかりハイライトにも追加した。思い出は保存。見てくれたら嬉しいです。

今日の「気づき・学び」

お金は道具だけど、そこに人の気持ちがこもると、大切に扱いたくなる。

7月13日(日)

日記はお休みでいいかい?

切羽詰まった。
脚本を書く。
日記を書く余裕がない。

今日の「気づき・学び」

休んでもいいよ。

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